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京都地方裁判所 平成4年(ワ)937号 判決

原告

久保清資

右訴訟代理人弁護士

山下信子

被告

坂部和行

右訴訟代理人弁護士

井木ひろし

主文

一  被告は原告に対し、金二九万、〇〇〇円及びこれに対する平成四年四月二九日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その三を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  原告

「一、被告は原告に対して、金九七万八、九一二円及びこれに対する訴状送達の日の翌日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。二、訴訟費用は被告の負担とする。」との判決及び仮執行宣言。

二  被告

「一、原告の請求を棄却する。二、訴訟費用は原告の負担とする。」との判決。

第二  当事者の主張

一  主位的請求関係

1  原告(請求原因)

(一) 原告は、建築士で、建物の設計(基本設計・実施設計)及び工事監理を業とする商人である。

(二) 原告は被告に対し、平成三年八月六日、被告居住建物の増改築計画立案及び右増改築のための設計図を作成することを約束し、被告はこれに報酬を支払う旨の設計図作成委託契約を締結した。その報酬金額は工事監理費分を含め、後に決まる施工費の一〇パーセントとする旨の黙示の合意があった。

(三) 平成三年八月二二日、原告は被告に対し施工費が三、〇〇〇万円になる旨を伝え、被告はこれを了承した。

(四) 原告は同年一〇月九日までに施工費を三、〇〇〇万円とする基本設計図(仕上表、面積計算表、平面配置図及び立面図)を完成させ、同日これを被告に提出した。

(五) よって、原告は被告に対し、右契約に基づく報酬として右施工費の一〇パーセントである金三〇〇万円から工事監理費分を差し引いた九七万八、九一二円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成四年四月二九日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

2  被告(請求原因に対する認否)

(一) 請求原因(一)の事実は知らない。

(二) 右同(二)及び(三)の事実を否認する。

(三) 右同(四)の事実を認める。

(四) 右同(五)を争う。

二  予備的請求関係

1  原告(予備的請求原因)

(一) 原告は、建築士で、建物の設計(基本設計・実施設計)及び工事監理を業とする商人である。

(二) 原告は被告との間で、平成三年八月六日、被告居住建物の増改築計画立案及び右増改築のための設計図の作成を委任する設計図作成委託契約を締結した。

(三) 同日、原告は、右委任に基づき、被告宅の現状を調査し、同月二二日、同月二六日、同年九月二日及び同月四日に、原告は被告と打合せをして、設計図作成作業をした。

(四) 原告は同年一〇月九日までに施工費を三、〇〇〇万円とする基本設計図(仕上表、面積計算表、平面配置図及び立面図)を作成し、同日これを被告に提出した。

(五) 仮に、前一の主位的請求が認められないとしても、原告は被告に対し、右(三)、(四)の行為に対する商法五一二条所定の相当な報酬として建設省告示一二〇六号の基準により金九七万八、九一二円の請求権を有する。

(六) よって、原告は被告に対し、商法五一二条所定の相当の報酬として金九七万八、九一二円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成四年四月二九日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

2  被告(予備的請求原因に対する認否・抗弁)

(一) 認否

(1) 予備的請求原因(一)の事実は知らない。

(2) 右同(二)の事実を否認する。

(3) 右同(三)の事実のうち、原告が被告宅の現状を調査した事実を認め、その余を否認する。

(4) 右同(四)の事実を認める。

(5) 右同(五)を争う。

(二) 抗弁

(1) 無報酬の特約

原告と被告は、本件委任を無償とする合意をした。

(2) 無償の慣習

イ 原告は建築業界に属する。

ロ 建築設計業界における建築請負契約締結前の設計は、いわゆる「営業設計」として、無償でなされるものであるという取引慣習が存在する。

3  原告(抗弁に対する認否)

(一) 抗弁(1)の事実を否認する。

(二) 抗弁(2)イの事実を否認し、同ロの事実を認める。なお、原告は被告と数回にわたって打合せをし、設計に修正を加えており、これがいわゆる「営業設計」の範囲を超えたものであることが明らかである。

第三  証拠〈省略〉

理由

一事実の認定

1  昭和五六年、原告は二級建築士の免許を取得し、高知市で一般個人住宅の設計監理業務などに従事していた。

2  平成元年、原告は、京都市へ移住し、当初約三か月間被告経営のマンションに居住し、時折あいさつを交す程度の関係であった。

3  平成三年六月頃から、被告は自宅の増改築を計画し、プレハブメーカーなど二、三社から新築の場合の平面図、いわゆる営業設計図を取得していた。

4  同年七月三〇日、被告は原告方に電話して、「自宅を増改築したいので相談に乗ってほしい」旨を申し入れた。

5  同年八月六日、原告は被告宅を訪ねた。被告は改造希望を述べて、間取りプラン図の作成を依頼した。この際、被告は、敷地測量図、住宅雑誌(〈書証番号略〉)や、前示営業設計図(平面図)を参考資料として交付した。なお、原告は被告宅の写真撮影(〈書証番号略〉)、間取りの測量などをした(〈書証番号略〉)。

6  同月二二日、原告は、被告方で、既存建物平面図(〈書証番号略〉)と増改築平面計画図三枚(〈書証番号略〉)を提示した。被告は原告の求めに応じ修正意見を述べ(〈書証番号略〉)、原告がこれに基づきその場で平面図を書いた(〈書証番号略〉)。

7  同月二六日、原告は、被告の希望を入れた平面プラン図(〈書証番号略〉)と立面図(〈書証番号略〉)を被告宅に持参した。立面図は前示6で被告から屋根は洋風か和風かといわれたため、原告が自発的に作成したものであるが、プラン図の域を出ていない。

8  同年九月二日、原告は被告に一、二階平面図(〈書証番号略〉)を作成して交付し、若干の修正事項について話し合った。

9  同月四日、原告は、被告に対し、自発的に被告の事務所の家具等のレイアウト図を無料でやらせて貰う旨述べて、ファックスで同図面を送付した(〈書証番号略〉)。

10  同年一〇月九日、原告は被告に対し最終図面(〈書証番号略〉)を作成して交付した。その際、仕上表、面積表、立面図(〈書証番号略〉)、発泡スチロール製の建築模型(〈書証番号略〉)を併せて提示し、これで増改築ができる、工事費概算は約三、〇〇〇万円、設計報酬は二五九万三、五〇〇円である旨を述べ、建築設計報酬計算書(〈書証番号略〉)、正式な契約書を交付した。これに対して、被告は、「そんなに費用がかかるのならなぜ始めにそのことをいってくれないのか」といい、「三、〇〇〇万円の工事費は考えていない。多くとも二、〇〇〇万円までだ」といった。

11  同月二九日、原告は被告に二、〇七一万円の工事の見積書を提出した(〈書証番号略〉)。ところが、被告は、「一、〇〇〇万円でないと改築はできない」といい、交渉は決裂した。

以上の事実は、〈書証番号略〉原、被告各本人尋問の結果、弁論の全趣旨によりこれを認めることができる。

二主位的請求原因について

1 主位的請求原因(一)の事実は、成立に争いのない〈書証番号略〉、原告本人尋問の結果により真正な成立が認められる〈書証番号略〉及び同尋問の結果、前認定一1の事実によりこれを認めることができる。

2 右請求原因(二)の事実のうち、平成三年八月六日に被告が原告に対し設計図作成を委託し、これを原告が了承したことは、前認定一4、5の事実に照らし、これを認めることができる。しかし、原告と被告との間で、右設計図の完成に報酬を支払う旨及びその報酬金額を施工費の一〇パーセントとするとの合意があったという事実は本件全証拠によってもこれを認めるに足りない。原告は、この点について、「平成三年八月六日に被告の事務所で、増改築の場合、通常一四パーセントか一五パーセントで設計管理をさせてもらっているのですが、原告が以前に私の元の家主さんでもあったので、一〇パーセントでお願いしますと言いました」「被告は、頷くようにして黙っていました」旨供述する(〈書証番号略〉、原告本人尋問の結果)。しかし、右供述は、被告の「設計士に設計を頼んだら、設計・管理料は一〇パーセントくらいということは分かりません。私宅の増築プランを簡単な図面に書いてほしいということで……」「もしそれが一〇パーセントいるのならそのときに契約書を交わしています」という供述(〈書証番号略〉、被告本人尋問の結果)、及び前認定10、11の事実などのその後の当事者間の折衝の経緯、弁論の全趣旨に照らし、たやすく採用することができず、他に報酬金額の合意の事実を認めるに足りる的確な証拠がない。

3  右同(三)の事実は、これを認めるに足りる的確な証拠がない。

原告は、この点について、同月二二日に、被告から「だいたいどれくらいでいくもんやろかという質問がありました。それに対して坪六〇万を目安として、総工費三、〇〇〇万円を見とかれたほうがいいと言いました。被告はこれに軽く頷き、これを了承しました」。しかも、そのとき被告から「坪単価六〇万円に対してどこからでてくるのかという質問がありました」と供述する(〈書証番号略〉、原告本人尋問の結果)。しかし、他方、被告は、総工費三、〇〇〇万円の工事ですと原告から確定的に言われたのは「請求を出されたときです」。八月二二日には、工事費の合意をしたものではなく、「三、〇〇〇万円、三、五〇〇万円やったら新築ができるからそれ以下の値段で増改築を考えていると言いました。……新築で坪六〇万円やと言われるのは分かりますけどね、増改築でしかも柱が腐っているかもわからんし、雨漏りするかもわからんし…」「増改築で坪六〇万円というのは高いですわね」と供述する(〈書証番号略〉、被告本人尋問の結果)。原告も、前認定一10のとおり、一〇月九日に施工費三、〇〇〇万円で計算した建築設計監理業務報酬計算書を見せると、「二、〇〇〇万円程度でないと工事ができないということで、それで見積を取ってほしいと言われました」という。これらの供述及び前認定一6ないし11の経緯、とくに10、11の事実に照らすと、仮りに原告のいうような話があったとしても、八月二二日に三、〇〇〇万円で当事者間の合意が成立していたことには合理的な疑が生じ、右合意が成立していたという前示原告の供述はたやすく採用することができないし、他に主位的請求原因(三)の事実を認めるに足りる的確な証拠がない。

4  したがって、原告の主位的請求はその余の判断をするまでもなく理由がない。なお、設計契約は設計図書の完成を目的とする請負契約であると考えられる。そして、報酬支払の合意は請負の要件であるところ、前示のとおりこれが認められない以上請負契約の成立をいうことができない。また、主位的請求原因が有償の準委任特約による請求であるとしても、報酬の合意がない以上、この特約を認めることができない。

三予備的請求原因について

1 予備的請求原因(一)の事実は、前示二1のとおり、これを認めることができる。

2 右同(二)の事実は、前示一4、5の事実、原、被告各本人尋問の結果、弁論の全趣旨によりこれを認めることができる。

3  右同(三)の事実のうち、原告が被告宅の現状を調査したことは当事者間に争いがない。

その余の事実は、前示一6ないし8、10の事実に照らし、これを認めることができる。

4  右同(四)の事実は当事者間に争いがない。

四予備的請求原因に対する抗弁について

1 抗弁(1)の事実は、これを認めるに足る的確な証拠がない。なるほど、被告は、この点について、「長くお付き合いさせて欲しいから今回はサービスにしとくということやったのです」とか、「設計料一切只やということだった」旨の供述をしている。確かに、原、被告各本人尋問の結果によれば、被告が原告に申し込んだ増改築設計業務の委託は、当初より一定の施工予算額を被告から提示したうえこれを前提として建築工事内容の設計をしていくものではなく、また、前示二3で説示したとおり原告と被告との間で施工金額についての確定的合意を認めることができない。しかし、前認定一4のとおり、被告宅の増改築の設計図の作成は、被告側から原告に電話をかけて依頼したものである。しかも、原告本人尋問の結果、弁論の全趣旨によれば、原告は工務店や住宅メーカーと下請け関係のない設計だけを業とする建築士である。これらの事実を併せ考えると、原告が被告に対してサービスとして無償で設計図を作成する特段の事情は認められない。また、前認定一9の事実に照らすと、特にサービスとしたレイアウト図以外は商人である原告が無償で他人のため労務を提供したものでないことが推認できる。とすれば、被告の右供述は、これらの事実に照らし、にわかに信用することができず、他に原告と被告との間に無償の合意があったとする事実を認めるに足る証拠がない。

2  抗弁(2)のイの事実は当事者間に争いがない。

3  抗弁(2)のロの事実は、右1認定のとおり、原告は、工務店や住宅メーカーと下請け関係のない設計だけを業とする建築士である事実及びプレハブ建築業者でない建築設計業界一般に被告主張のような建築請負契約締結前の設計をすべて営業設計として無償とする取引慣習があるとの事実は本件全証拠によっても、これを認めるに足りない。

4  したがって、抗弁(2)は理由がない。

五相当な報酬額について

原告はこの点について、建設省告示第一二〇六号に基づく報酬が相当であると主張する。しかし、本件における原告と被告の間で締結された建築設計委託契約(以下、本件契約という)には、前示のとおり、報酬金額についての合意はなく、しかもその額を定める方法についての合意もなかった。とすれば、本件契約を報酬の約定を要件とする請負契約であるということはできない。そして、右告示は、請負契約の性質をもつ設計・工事監理契約につき、仕事の完成、即ち、設計図書の完成及び工事監理の完成と対価関係に立つ報酬として定められたものと認められるから、これをそのまま本件における相当報酬算出方法として適用することはできない。

即ち、本件契約のように報酬について定めのない設計委託契約の法的性質は、建築士に設計図作成という事務を委託したものであって、準委任契約に当ると考えられる。そして、準委任契約の報酬は、仕事の完成(設計図書の完成)と対価関係にあるとはいえないから、それを目的とする請負契約につき定めた前示告示と全く同一の基準により、相当な報酬を定めることはできない。委任事務の履行に対する本件の報酬は、前認定の事実の経緯と諸般の事情に照らし、設計図作成に要する日数に一日当たりの人件費を乗じて算出された金額を相当の報酬とするのが相当である。この場合、建築士は一つの仕事だけにかかりきりになるわけではないので、設計図作成に要する日数は契約成立の日からの通算日数とすることはできず、社団法人日本建築士事務所協会連合会が前記告示に示された日数を建設工事費デフレーターにより平成三年度の値に補正したものにより、一日当たりの人件費は官報告示の技術者標準日額によることとする(〈書証番号略〉)。前認定一の各事実に照らすと、本件において原告は基本設計を終了する段階まで委任事務を履行していることが認められる。ところが、右補正日数には基本設計のほかに実施設計も行う期間が含まれているから、これを除外する必要がある。そして、原告本人尋問の結果によれば、基本設計の報酬の割合は、日本では建築士の商慣習として設計・監理総報酬の二五パーセントから三〇パーセントであることが認められ、成立に争いのない〈書証番号略〉及び同尋問の結果によれば、本件では原告は常に二五パーセントとして請求してきたことが認められる。よって、本件では総日数の二五パーセントを基準とすべきである。また、日数算出の基礎となる工事費については、一般に注文主が承認した工事費でしか施工に持ち込むことはできないから、その金額を基準とするのが妥当であると考える。

本件の場合、工事費については、前認定一10、11のとおり、その金額は二、〇〇〇万円であったと認められ、前認定一11のとおり、原告はその後二、〇〇〇万円の見積書を取ったことが認められ、このことから原告と被告との間で施工費を二、〇〇〇万円にするとの合意が成立したと推認することができる。右認定に反する被告本人尋問の結果は信用することができない。そして、これを基礎として、〈書証番号略〉によれば、設計・監理に要する日数は三六日であり、日額は三万三、〇〇〇円であることが認められる。そして、基本設計に要する日数は、三六日の二五パーセントである九日となる。よって、本件における相当な報酬は、金二九万七、〇〇〇円である。なお、委任の報酬は委任の費用とは異なる。

六結論

以上によれば、被告は原告に対し、本件設計準委任契約に基づく商法五一二条所定の報酬金として、金二九万七、〇〇〇円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成四年四月二九日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。したがって、本件予備的請求を右の限度でこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却すべきである。よって、訴訟費用の負担につき民訴法九二条本文、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官吉川義春)

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